吾妻鏡 第一巻 目次

 

 

治承四年の出来事。頼朝の旗揚げから鎌倉政権の樹立まで。


序      文
 
 頼朝時代の天皇や摂政の紹介

治承四年四月
 
 源三位頼政は以仁王と平家転覆の相談をし、決行に動き出す。令旨が頼朝に伝達される。以仁王の全源氏に対する令旨の内容。

治承四年五月

 計画は発覚し、以仁王は三井寺に逃げ込む。準備不足の中、止むを得ず源三位頼政は蜂起するが宇治にて敗死する。

治承四年六月

 三善康信が頼朝に都の危機を伝え、また千葉胤頼と三浦義澄も京都の帰りに北条に立ち寄り危機を伝える。頼朝は平家を滅ぼすことを考える。

治承四年七月

 頼朝は文陽房覚淵に旗揚げの覚悟を話します。波多野右馬允義常と山内首藤滝口三郎経俊は頼朝の呼び掛けに従わない。

治承四年八月

 頼朝は十七日蜂起し山木判官兼隆を討ちます。しかし石橋山合戦、衣笠合戦に破れ、安房国へ遁れます。

治承四年九月

 頼朝は安房に到着しました。その頃、木曾冠者義仲が動き出します。また安房国頼朝の陣営では、千葉一族が参向しますが、新田は引きこもります。

治承四年十月

 阿野全成が頼朝の陣に来ました。朝光を元服させました。畠山重忠、河越重頼らが参陣します。頼朝は鎌倉に入り、八幡宮を祀ります。
 富士川の合戦で平家を潰走させます。奥州より義経が到着し面会します。初めての論功行賞を行い、大庭景親は斬首されます。

治承四年十一月

 常陸の佐竹秀義を叔父を語らって攻めました。頼朝殿は鎌倉へ帰ります。山内経俊は母のおかげで、死刑をまぬがれました。

治承四年十二月 

 平家に都を追われ、山本兵衛尉義経は鎌倉へ来ます。園城寺は平家に焼き討ちを受け、燃え尽きました。頼朝は鎌倉に居を移します。
 木曾義仲は信濃へ後退します。重衡により園城寺に続いて南都も焼き討ちに会います。東大寺、興福寺等全焼。

 

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