吾妻鏡 第二巻 目次

 

治承五年の主な出来事。頼朝殿は着々と鎌倉の経営を進めます。志田先生の反乱も抑え、安定がはっきりします。鶴岡八幡宮の造営も順調に進みます。
都では、木曾義仲、源頼朝の追討を平家に命じますが、進展はありません。


治承五年正月

 関東の武士らが、都に攻め込むという噂が流れます。梶原平三景時が頼朝と面会。熊野の悪僧らが伊勢平氏らと合戦します。
 平氏の没落を夢見る人たちが出てきます。

治承五年二月

 源義基の首が獄門に架けられました。頼朝追討軍が数千騎の軍勢で東国に向かい尾張に着いたと、飛脚がありました。
 志太三郎先生義広と頼朝が反目します。九州において反平家の合戦が起こります。

治承五年閏二月

 都では清盛が死去します。平宗盛に次いで重衡が東国征伐に出発します。しかし、東国では源氏の一門である志田先生義広が頼朝に反抗し
 野木宮の合戦が起こりますが、結果は頼朝軍の圧勝に終わり、ここに鎌倉の安定がはっきりします。

治承五年三月

 墨俣川の戦いで、十郎蔵人行家の軍は平家の重衡以下の軍勢に大敗します。義円も讃岐守左衛門尉盛綱に討ち取られました。

治承五年四月

 鎌倉において、頼朝殿の寝室の警備が決まりました。平井紀六の処刑が行われました。各種所領の問題が起こり、解決していきます。

治承五年五月

 鶴岡八幡宮の造営し直しが決まり、大姫の屋敷と厩の建設も決まります。行家が平家追討の願文を伊勢神宮に送りますが、神宮の返事は
 良いものではありませんでした。そこで行家は山門に働きかけます。

治承五年六月

 岡崎四郎義実と上総介広常が頼朝殿の水干のことで、一触即発の事態になりますが、三浦十郎義連のとりなしで収まります。彗星が出現します。
治承五年七月
 十四日に養和元年に改元。浅草より大工の棟梁を呼び寄せ、鶴岡八幡宮の上棟式が行われました。またこの日、長左六郎の家来、
 左中太常澄が捕らえられ、処刑されました。彼は頼朝殿の命を狙っていたのです。長尾新六定景が罪を許されます。

 この月十四日に改元があり、養和元年に。


養和元年八月

 朝廷は藤原秀衡に頼朝を、城資永には木曾義仲を追討するよう命じます。頼朝は所願成就を祈って鶴岡八幡宮や近国の寺社に大般若経などの
 転読を命じます。

養和元年九月

 越後守城四郎は勅命により木曾を攻撃しようとしましたが、急死します。桐生六郎は主人足利俊綱を殺し、その手柄で頼朝殿の御家人にと
  考えましたが、主人殺しの罪で処刑されます。(桐生六郎の件は、寿永二年(1183年)の間違いか?)

養和元年十月

 平惟盛が東国征伐に出発します。鶴岡八幡宮の読経僧を定め、荘園を寄進し、また鹿島神社にも荘園を寄進します。伊勢神宮に祈願をかけ、
 同神宮より 祈祷のため神官が鎌倉に来ました。

養和元年十一月 

 足利義兼、義経らは平惟盛軍を迎えようと出発の準備をしていましたが、敵軍が近江国に滞陣しているとかで、出発を見合わせます。
 木曾義仲の追討軍である、平通盛、平行盛軍らは 北陸道より京に戻りますが、平経正軍は若狭に滞在しています。

養和元年十二月

 奥方の政子殿が体調を崩されました。頼朝殿の師匠である、僧日恵が亡くなります。

 

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