平治物語

元帖  日本文学大系 「平治物語」(非売品) 誠文堂    現代語訳  木村 暉     2009.11.10〜2010.3.26

 

(はじめに)  平家物語の現代語訳をしてみれば、やはり平家物語における源平の争いは、保元の乱、平治の乱を避けて通れないと思った。

平成21年7月に平家物語を完訳したのを機に、保元物語続いて平治物語に挑戦を始めた。

 

 平治元年(1159年)、後白河上皇方最大の武力勢力であった平清盛が熊野参詣に出かけた隙を狙って、かねてから藤原通憲(信西入道)と後白河の寵愛をめぐって権力争いを起こしていた藤原信頼が、保元の乱での賞与などで平家の圧迫に不満を覚えていた源義朝を語らって挙兵する。

 上皇を大内裏に監禁し、藤原通憲信西を殺害し一度は権力を握るものの、熊野から引き返した平清盛に敗れ、信頼は処刑され、義朝も東国に落ちていく途中暗殺される。この乱をきっかけに平家は権勢を伸ばし、源氏は世から忘れられ、藤原家をはじめに公卿の没落が始まります。

と同時に日本は武士による支配が確立し、その後明治維新を迎えるまで武家政権が続きます。

 作者については不明ですが、保元物語における、鎮西八郎為朝の作戦却下とその後の戦況の記述、また平治物語の悪源太義平の作戦却下とその後の記述などに、似通った部分があり、また保元物語と同様に源氏に対して同情的なこともあって、同一人物ではないかと思います。

 

 

  目 次     あ   ら   す   じ
  巻之 一  保元の乱後三年が経ったのですが、都は決して落ち着いていた訳ではありません。一部の公卿とそれに結びついた武力集団が、それぞれの不満を
 くすぶらせていたのです。特に信西派に不満を持つ、反信西派とも言うべき藤原信頼と源義朝の一派は、上皇、天皇の身柄を確保して、私利、私欲
 だけの乱を引き起こしたのです。信西派の清盛は熊野参詣の途中、この変を聞き参詣を中止して急遽都に引き返します。信頼側の一部の裏切りに
 より、上皇、天皇の身柄を確保した清盛は、内裏に官軍として攻めることになります。
  巻之 二  義朝軍は平家軍に内裏からおびき出され、一旦は六波羅に攻め込んだのですが、多勢に無勢はいかんともしがたく、やがて敗色濃くなり、再起を
 図るため、東国に落ちることを決意します。しかし、尾張国まで逃げたものの、源家代々の家臣長田庄司忠宗に殺されます。都では、信頼ら首謀者
 が、捕らえられ処罰を受けます。信頼は許されることなく六条河原の露と消えます。頼朝は東国に義朝らと共に逃げていたのですが、途中ではぐれ、
 結果として命を永らえることになります。これが後の大きな動きを生むことになります。
  巻之 三  義朝と共に鎌田兵衛政家も長田忠宗父子に騙し討ちに会います。義朝の死を聞いた常葉は嘆き、三人の子供を連れて身を隠します。平家では、
 義朝の男子三人を捜索します。結局、常葉の母を拘束し、おとりとして常葉を呼び出しました。また義朝と雪の中東国に落ちる途中はぐれたことで、
 助かった頼朝もやがて捕らえられますが、池の禅尼に助けられ、伊豆へ流されることになります。また常葉の子供らも死罪を逃れ、寺に預けられました。
 年月が過ぎ行き、常葉の末っ子、牛若は鞍馬寺に預けられていましたが、奥州に向かい脱出します。また伊豆に流されていた頼朝も兵を挙げます。